ELLEGARDEN細美武士さんの日記保存ブログです。
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ほいほぃー。限りない長考の末にたどりつくのは大抵の場合、「なんだよ、そんなの超当たり前じゃん。どうしてこんな当たり前のことに今まで気がつかなかったんだろう?」っていうような結論。どうして気がつかなかったのか?それは、本当に必要なことは誰かに教わるのではなく、自分で気付く以外ないからだ。
前回の日記で書いた、必死で守り通してきたもの。それは己の「個性」。個である性質、つまり単一でいる自由のことだ。だから大抵の場合選択する行動は「抵抗」もしくは「反骨」だった。何に対してかって言うと、「一元化」や「平均化」といった類のもの。誰も楽しくないのに全員がうっすらと笑みを浮かべている状態や、己の意思決定を自身の属する集団の多数決(成否・善悪すら問わず)にひたすら追従させること。それはつまり「個性」の喪失だ。学校であれ家庭であれ、教育は時に「みんなと同じにならないと困るのは君だ」や「人と違う考えはただそれだけで間違っている」といった集団絶対説を反論の余地すら与えずに繰り返し体に覚えこませようとする。(「時に」ってのは、そうではない家庭や、そうではない教育者がいることも知ってるからだと思う。そういう人に出会えた人は幸運だよね。) これは、「何も考えず、何も言わずに口を開けて待っていなさい。そうしなければ分け前を入れてもらえないんだよ。」っていう総ロボット化的観点だ。世界中を旅したわけでもないけどね、日本ほどこれを「そうとは気付かれないように上手い具合に実践」してる社会はそうそうない。これに対して常に「ふざけんなよ。分け前なんているか。俺は俺だ。」っつって中指を立てて生きてきたわけ。幼少期に強い拒絶を経験するとこういう性格になるのが典型的らしいけど、見事に型にはまっている。 「マトリックスの人間電池、あれが僕らだ。目を覚ませ。」っていうメッセージをばらまきたいとは思わない(V for Vendettaでも同じことが描かれてるから、ウォシャウスキー兄弟のテーマは今のところこれなんだろーか)。映画の中でマトリックスに帰りたがる奴がいるように、それも本人の自由な選択の範疇だ。それにシステムが機能しているうちは、そちらを選択するほうがはるかにリスクは少ないし、賢明って表現すら当てはまるような気がするよ(カタストロフ的状況下でのこういう人の生存率はすごく低いらしいけど)。 じゃあどこを見落としていたのか。俺は自分のことをgroupism的思考回路を持つ人と共存することは出来ない死滅因子のようなものだと思ってた。圧倒的多数派である彼らといると自分がどんどん消えていく恐怖を強く感じたからだ。自分の意思を持つ自由は常にリスクと背中合わせで、そのリスクを背負えないのは臆病なこと(=悪)だと思い続けた。だから俺はどこへ行こうと浮いて、多くの場合敬遠される「厄介者」だ。活発な議論の末に集団的解決を見出せるのは、individualistたちが構成するgroupの中でだけだと決め付けたし、それ以外の集団には、隷属するか、そもそも所属しないかの二通りしかないと思っていた。目を覚まさないといけないのは俺の方だ。人はそれでも、俺を受け入れてくれている。その輪の中にいれてくれようとしている。 世界に拒絶されていると感じながら、拒絶していたのは僕だ。なんて狭小なんだ!「反骨」を捨てない限り、友達なんて出来ないと思ってたんだよ。なんだよ、そんなことないじゃないか。このままで受け入れてもらえる道があるじゃないか。そのために自分がするべきことはたった一つ、自分とは違う個性を持った人を尊重する(敵でも味方でもないという視点から見る)ことだ。なんだよ、そんなの超当たり前じゃん。どうしてこんな当たり前のことに今まで気がつかなかったんだろう? 寝起きに書きなぐって後悔する典型的な文章だとは思うけど、心はどこへでも行ってしまうからね。人に優しくできるようになるために必要なのはなにも、牙を折ることじゃない。闘わないといけない状況はこれからだっていくらでもめぐってくるし、どんな人間に対しても優しくなんてしたくもないけど、優しくしたい人に優しくできない生き方はとても疲れるんだ。 今日もすごくいい天気だね。気分がいいや。歩くとちょっと遠いんだけど、パンケーキ専門店を見つけたよ。スパムとオムレツがついてくんの。うんまいよー。 2008/3/6 PR |